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2016-01-22 | Blog

作品展「未来への羅針盤」に向けて (現在の進捗状況)

漸くですが、制作を開始しています。
基本的に屋外(軒下)での作業になるので、
天候に左右されます。

真っ白ですが、アタリを付けている段階です。
基本的には制作に入る前に、同じサイズかひとまわり小さめの紙に
ラフを描くのですが、この場合は無しで進めています。
この絵はわりと風景画に近いので、アタリを付けるのみでよいかと。

聞き取り・現地のスケッチ・写真資料など

想像図を描く

確認してもらう

修正・再確認、あるいはOKをもらう

下絵作成

制作

完成

おおまかにはこのような流れになります。
OKをもらったものから順次、下絵に起こしてゆく
作業も並行して進めます。
そしてあと幾つか、絵に起こしたい場面があるので、
そちらに関する聞き描き活動も、間を縫って
行ってゆく予定です。

160120_1653~01

まずはこの作品からスタートです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016-01-19 | Blog

開催時期の延期のお知らせ

readyforでお知らせしましたが、4月に予定していた展示会を
大幅にずらして、9月に開催することと致しました。

このところ締切のある依頼が重なってしまったため、
どうしてもそちらを優先せざるをえない状況
にあって、なかなか展示会に向けての制作が
はじめられなかったこと。
また、旧年中は殆ど休みなく根詰めて作業を
していたのが体が悲鳴をあげてしまい、
ここしばらく静養を取っていたこと。そのたもろもろ勘案して、
このままでは満足のゆく展示ができないと判断し、
開催時期を延期させていだだくことにしました。
会場との話し合いのもと、開催時期は

2016年9月16日(金)~10月2日(日)

と決定致しました。

ファウンドして下さった皆様には、
リターン品の一部(展示会用DM、展示作品ポストカード)の
発送が予定より遅れてしまうことに対して、この場をお借りして
深くお詫び申し上げます。

 

災い転じて(?)ではないですが、4月に予定していた
ときよりも展示期間が長くなり、時期もシルバーウィークと
重なるようでして、お客様としては観に行き易いのでは
ないでしょうか。
そういったわけで、島に凱旋するのは10月になりそうです。

だいぶ制作期間を設けたので、制作過程をブログ
にアップして、展示会場である桜坂劇場のブログにも
連動させる運びにもなりました。

このブログにかんしては、facebookにて更新のお知らせをその都度
していますので、facebookを利用されている方は、登録(?)いただければ
更新時期がすぐわかると思います。

facebookはこちらになります。
https://www.facebook.com/yamazakinorikazu.kudakajima/

それでは皆様、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

 

山崎 紀和

2015-12-13 | Blog

想い出と歴史の狭間

日が過ぎてしまいましたが、私の活動が琉球新報に掲載
されました。記事はこちらです。↓

http://ryukyushimpo.jp/photo/entry-186608.html

さて、ここから先は、だ、である調で書かせてもらいます。

想い出と歴史の狭間で僕は思う。

前回も同じようなことを書いたと思うが、いまとなっては戦前の暮らしを
聞き取りするのはとても難しい。
あと10年、いや5年早く活動を始めていれば、もう少し詳細なことを
聞けたかもしれない。
しかしそのことを惜しんでもしょうがない。
僕が今、やっていることは、ほんとうに、かろうじて
残っているかけらを一生懸命集めているにすぎない。

そんなこんな聞き取りを続けるなか、民俗博物館に行ったり、
歴史資料に目を通す頻度が最近多くなってきているように思える。
これらは、言葉少なな想い出話を補てんするための
行いであるが、気を付けないとそちらに比重が傾いてしまう。

僕ははたと気付く。

もはや、戦前、というものが、人々の記憶にあるものから、「歴史」
になりかけている、と。あと5年もすれば、戦前という時代は、
江戸時代や明治・大正のように、完全なる「歴史」になるであろう。
僕はちょうどその分岐点に立っているのだ。

歴史資料から絵を起こしてゆくことは不可能ではないだろう。
学問の世界を覗くと、それこそいろんな研究がなされている。
それはそれとして、今後、勉強を続けてゆくとして、ちょっと
立ち止って、今やるべきはなにかというのを考えると・・・・・

やはり、現在生きている人たちからの話を絵に起こして、
「いや~懐かしいねえ!」
と喜んでもらう。これが一番の中心軸だと思う。
その「懐かしい」と思う対象となる時代が、かろうじて「戦前」
という時代と重なっているのが、今、である、ということだと思う。

歴史資料に目を向けはすれど、やはり
今一番大事なのは、断片でもよい、そのときを生きた方々の
言葉を丁寧に拾い集めることだと僕は思う。

2015-12-08 | Blog

漁業から一変

ここ数日、芭蕉布の工程について調べている。
というのも、この島でもかつて糸芭蕉を紡いで、
布が織られていたということが分かったからだ。

時代でいったらいまのおじいおばあのもうひとつ
上の世代、私からしたらひいおじいさん、ひいおばあさん
の代の話である(もっとも、戦後もしばらくはやられて
いたようである)。

そういったことなので、私は「おばあのお母さん」の面影を
絵にしようと取り組んでいるのである。

たぶん、出来上がったら、あまり地域色のない、地機で
機織りをする場面を描いたものになるであろう。
しかしそれを描くことは大いに意味のあることだ、と思う。

で、私は何を研究してたかというと織り機の仕組み、構造、
「糸芭蕉」という植物が、「芭蕉布」という一反の布になるまでの
一連の流れ、である。
それらがある程度わからないと、動きのある絵を描くことは
できない(もちろん、コミュニケーションも円滑にならない)。

少し専門的な話になるが、機を織るには椅子のように座って行う
高機(タカバタ)と、低い位置に足を伸ばして座る地機(ジバタ)の
2種類があり、よくよく聞いたら地機であった、という。

明治期に効率のよりよい高機に順次切り替わっていった、という、
先日足を運んだ民俗資料館の下りを参考に、であれば島でも高機で
あっただろうと予測してたのだが(それに資料館には高機しかなかった)、
上記の一言で僕の予測は見事に外れ、改めて地機の構造を調べ直していた。
要するに、昭和に入っても、地機を使用していたというわけで、
ここでも地域差、というものが存在していたのだ。

調べたら県立博物館に地機が保存されているのを知り、
近々行ってくる予定である。
現物を見れば、いろいろと謎が氷解するように思える。

難しい話はともかく、おばあに「懐かしいねえ~」と言って
もらえるような絵ができたら、それでいいと思う。

というよりか、降ってわいて出てきた題材でしかも機織りなぞ
全く知識ゼロであった私は今、頭を急速フル回転させている状態なのだ。

2015-12-04 | Blog

70年という月日を想う

いぇー! とーとー!

なとーんどー、なとーんどー!!

 

僕は結局のところ、この瞬間のために聞き描きを
続けているのかもしれない。
お~!できたじゃないか!という程の意。
学術的な価値、はむしろ副産物のようなもので、副産物、と言っても
それはそれで大変価値のあるものなのだが。

研究、という立ち位置というよりは、いま現在居る人たちの言葉を聞き、
かたちにしてゆく、というところにむしろ意味があるように思う。
前勉強として専門書を漁ったり、博物館に足を運んだりすることもあるが、
それらはあくまで現場でのコミュニケーションの円滑化を図るためである。

戦前の話を聞くのはおそろしく困難なことである。考えてみたら戦後も70年
が経過している。
単純に考えて、話し手が80代後半から90代前半としても、聞けるとしたら
10代後半から20歳を少し過ぎたころの体験や面影である。

戦後の話を聞くのは比較的たやすい(あくまで比較的、であるが。)
しかしながら、これが戦前、となると格段に難易度が上がる。
場合によっては、おばあのおばあちゃんが、こんなことしてた、
という話も出てくる。

70年、とはそういう月日なのだ。

僕は今、その中でも、わずかにかろうじて残っているものを、
必死になって集めている。
歴史資料を読んだり博物館に行って、それを元に絵を描く。
やろうと思えばできるのかもしれない。
しかし僕のやらんとしている物事ではない。
それらは参考にすることはあっても(結局、地域差があるので
参考にしかならない場合が多い)、
あくまで当事者の声を元に作画をする。

そことここでは雲泥の差があるように思える。
出来上がった世界は、多少の誤差はあるかもしれない。
想い出の中身を描いているのだから、それはある程度
仕方のないことだ。

それよりも、大事なのは
「とーとーとー!あたってるさー!」
この一言を得ることだ、と僕は思うのだ。

さらに言えば、この瞬間を相手方と共有するまでの道のり、そして
まさにその瞬間・・・
これこそが、真の「芸術」というものだと思う。

 

 

2015-11-24 | Blog

サワラに一応の決着をみる

このメモ(画像上部から右下にかけて)には日付けが10/25とあるから、
今日までひと月が経過してしまった、ということになる。
赤ペンの2/9の日付けはここでは関係ない。
たまたま話が始まったときに、空いているページが無かったので
過去の記録の隙間にさっと書き留める。
さてここからが、「確認」という根気のいる作業が始まる・・・・。
お話しをして下さった方は、物識りな60代の方なので、
私の話を元に、先輩方(いわゆるおじい達)に聞いてごらん。
ということになる。

151124_2045~01

 

まずは持ち帰った話を想像して描いてみる。
ただ想像するのでなく、サワラというのはジャンプするんだなあ、
とか、できるだけリアルに。

151120_2005~01

で、あちこち聞いてみる。
サワラ漁に馴染みのあった人とそうでもなかった人、と
別れてくる。とにかく古い漁法であるのは一貫したところである。
赤ペンは聞きに行った先で修正したもの。

時には資料も活用

151120_2006~01

 

資料によると、銛の先端部は外れる構造になって
いるようである。先端部分は釣り縄がつけられ、縄は
柄の上のほうに括られている。
つまり・・・・・
サワラに銛が刺さった瞬間、銛の先端が柄から外れて、
先端には縄がついているので、あとはそれを手繰りよせて
船上に引き上げる、ということか??

151124_2047~01

 

 

 

 

 

 

というふうに読み取って、図にして再び(三度?)聞き取りの世界へ。

久しぶりに90過ぎのおじいのとこへ会いに行く。
普段なかなか会いにいけない、突然行って困りはしないか・・・
というのは杞憂であった。ホッ。

 

151124_1808~01

カクシャクとして元気な方だが、耳が遠く、
お互い大声を張り上げて身振り手振りのやり取りが
続く。
銛は、外れるものと外れないものと両方用いたとのことであった。
ほかに別の昔話を聞かせていただく(これは比較的すぐに
絵に起こせそうである)。

 

その後、もう一度、サワラの件で最も頻繁に訪れているおじいの
元へ。

 

151124_2047~02

すると、絵にあるような先が三本の銛は、大型船の時に
用いた。サバニで使用したのは、一本銛だという。
一本銛でかつ、先が外れるもの。
聞いてるそばから簡単な銛のカタチをかく。

いェ~!そうじゃない!

こう?

そうじゃない!

こうですか??

とー、とー、
先がヤジルシみたいになってる。
で縄がついてて、上のほうでくびられてて・・・

でやはり、縄を手繰ってサワラを船に上げた、ということだ。
エギの方言名も確認がとれた。

 

151124_2048~02

帰宅後、忘れぬうちに書き残しておく。

これでもって、まずは作図に入ることとする。

はあ~やっと作図に入れる・・・・。

READYFORのプロジェクト継続中です。詳しくはこちら
https://readyfor.jp/projects/yamazakinorikazu

 

 

2015-11-20 | Blog

戦前のサワラ漁に思いを馳せる

馴染みのない方にはなんのこっちゃら?な文章ですが、
僕がどのように制作を進めているか少しでも想像して
いただけるかと思い、記すことにします。

151120_2005~01

僕は山間の農村に育ったので、畑の話はあるていど応用編で
お年寄り方の話を理解することはできるけれど、
難しいのが漁業に関することです。
いわゆる海人(うみんちゅ)の世界の物事です。

こういうときは、この島に住んでからの数少ない海の
体験を頭の中で総動員して、聞き描きに臨みます。

まったく知識ゼロの人にその極めたるなんたるかを
伝えるのは億劫なものです。

ですから、ある程度勉強してからかからないと、
お話にならない。質問をする相手方に、もどかしい
思いをさせてしまうのは僕としてもできるかぎり
避けたいものであります。

で、今宵は、戦前において、サワラという魚を
どのように仕留めていたか・・・ということに
思考を巡らせているのです。

まずもって、当時の漁具を、浮き彫りにしなければ
なりません。
カタチがこうでこうで・・・というのを、素材が
何だったか、聞いて描きだしてゆくのです。
で、その話を持ち帰って、描いてみて、見せて、
「こんなんじゃなーい!」
となって赤ペンで修正を加えて・・・と。
サバニ(沖縄特有の船)などは現在もあるので、
(船の構造や部位の名称を覚えてかからなければ
ならない、というのはありますが、)なんとかなる
のですが、現物が無いものを話を頼りにゼロから
描き起こしてゆくのは根気と手間がかかります。

で、う~ん、となりながら、本棚にある分厚い沖縄民具の
専門書をパラパラをめくっていたら、
なんとサワラ捕りに関するページがあるではないか!

151120_2006~01

灯台もと暗し。
ただこれですべて解決、にはならず、
この小さな白黒写真と、文章による道具
の説明文を元に描き起こして、またおじい
に見てもらって、というプロセスが待って
いるのですが。
しかし、大きなヒントを得られて、なんとか
可能性が見えてきたように思えます。

ちなみに、この本の記述は、本島中部の離島
のものを収録しており、本島南部の離島である
こちら側では、素材や名称が若干の差異が
あるようです。
ですから、
この地方では、こんなんだったようですが、ここ
ではどんなだったんでしょうか?
というアプローチができるかもしれません。
結果的に、記憶の中に失われかけていた漁具と
その方言名を残せるかもしれません。

制作の九分九厘はこのような
暗号を読み解くような作業に費やされます。

そして最後の一厘で、臨場感のある場面が
浮かび上がるのです。

 

2015-11-18 | Blog

情報というもの

僕は情報、というものは、自分の足で歩いて、自分の眼で見て、
耳で聞いて、自分の手で触て得たもの、それかほんとうの意味での
「情報」だと思うのです。
そこで得たものをもって物事を判断してゆく、さらに進めて物事を
知る、ということが大事だと思うのです。

半世紀以上前のことを、経験することは、タイムマシンが無い限り
経験することはできません。

しかし、今だったらかろうじてリアルタイムで過ごしてきた人たちの
話を、直に聞くことができる。まして、70年以上前、となると、
格段に難易度が跳ね上がる。しかし、今だったら、不可能な
ことではない。今だったら、限りなく第一次情報に近いものを
得ることができる。

そのことが、僕がある種の焦燥を帯びた使命感にかられ
聞き描きという行動に出ているゆえんでもあります。

例えば、味噌や豆腐の作り方を聞く。酢の作り方を聞く。
それは、TVやネットのニュースで取り上げられる事象と
比較したら、ささいなことかもしれません。
大根やニンジンは種を取って、翌年またそれらを
蒔いていたということ。
味噌は、現在スーパーで売られているものとは比べに
ならないほど、香りもよく、美味しかったということ。
3年寝かせたものはさらに良かったということ。

なにより、味噌を仕込むにあたっては、まずは麹
から作っていた、ということ。
豆腐にあっては、にがりではなく、海水を汲んできて
それをいわば凝固剤として使用したということ。

さらに言うなれば、それらの原料となるもの、
麦、大豆などは、連綿と島の畑で作られていた、
ということ。

そういった物事を、直にやってきた人たちから
直に聞くことができる。さらに突き進めて最終的には、
実際に自分でやってみる。最初はおばあ達に教わった
通りにはいかないかもしれない。最初からいきなり成功
はないだろう、それなりの試行錯誤はあるだろう。
そのつどまた、おばあ達に教えを乞うことになるだろう。

試行錯誤の末、たとえば、味噌が出来上がり、
おばあ達に味見をしてもらって、
「これこれ!」
となったときに、知識というものが体感を持った
智慧となり、すなわちそれこそが、出来上がるまでの
過程も含め、ほんとうの意味での「情報」というものではないだろうか。

絵に起こすだけでなく、できうるかぎり
その領域まで行き着きたい、と考えています。
ですから、僕のやっている活動は、ただ単に島のかつての
暮らしを記録して世に知らしめたい、というよりは、
この先、我々が生きてゆくうえでの大事なものごとを
勉強しているのです。
結果的に、記録に残し、後世に伝えてゆくことに
なるのですが。

2015-11-13 | Blog

未来への羅針盤

昨晩公開されたクラウドファンディングの
プロジェクトもまずは一日が経過しました。

プロジェクトの詳細は、下記をクリックして下さい。

https://readyfor.jp/projects/yamazakinorikazu

何故、僕がここまで熱を上げて、昔の暮らしの
聞き描きをしているのか、当の僕にもよくわからない
ところもあるのですが、突き動かされるように
このようなことをやっているのも、きっと訳が
あるのだと思うのです。

あるとき僕は、自分がいま立っている場所が、
一体どういうところなのか、あるいは
どういうところだったのか、純粋に知りたく
なりました。

ただ知る、でなく、体感をもって知りたい。
「汝の立つところを深く掘れ」といったところでしょうか。

とにかく暮らし全般なので、雲をつかむような
ものでしたが、まずはとにかく点を集めよう、
点が集まったら、線が見えてくるだろう、線が
集まってなにがしかの輪郭が見えてくるはずだ。
そして、その線というやつは、平面上のもので
なく、あらゆる方向に伸び、繋がるものだ。

輪郭がぼんやりと見えてきて、最終的に、
立体としての全体が現れたとき、
何が見えるのだろう。
今はかいもく検討もつかないが、
何か、とても重要なものが眠っている、
と直感したのです。

続けてゆくうちに、時に、童歌の歌詞と
旋律を残すこととなり(歌えるようになる)、
島にしかない民具(島のクバ笠)の設計図を起こすことに
なり(つまり再現の一歩手前まできている)、といった
ことが派生してくるようになってきました。

今は島では作られていない大豆の、蒔く時期、収穫時期
脱穀の仕方の話を聞き、描き、それらは豆腐となり、あるいは
味噌の原料の一つにもなる。その過程ももちろん、
聞き、描き、見せて、修正を重ねてゆく。

とにかく、絵に描いて残す、ということは
結果的に、計り知れないものが派生的に
現れてくる、というのを知ったのです。

復古を求めているわけでもありません。
この時代に逆戻りさせようとしてるわけでもありません。

ただ、この先、私たちが生きてゆく上での
なにか大切なものを得ることができるような気がするのです。

ですから、この先控えた展示会のタイトルは、
「未来への羅針盤」としたのです。

 

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