漁業から一変
ここ数日、芭蕉布の工程について調べている。
というのも、この島でもかつて糸芭蕉を紡いで、
布が織られていたということが分かったからだ。
時代でいったらいまのおじいおばあのもうひとつ
上の世代、私からしたらひいおじいさん、ひいおばあさん
の代の話である(もっとも、戦後もしばらくはやられて
いたようである)。
そういったことなので、私は「おばあのお母さん」の面影を
絵にしようと取り組んでいるのである。
たぶん、出来上がったら、あまり地域色のない、地機で
機織りをする場面を描いたものになるであろう。
しかしそれを描くことは大いに意味のあることだ、と思う。
で、私は何を研究してたかというと織り機の仕組み、構造、
「糸芭蕉」という植物が、「芭蕉布」という一反の布になるまでの
一連の流れ、である。
それらがある程度わからないと、動きのある絵を描くことは
できない(もちろん、コミュニケーションも円滑にならない)。
少し専門的な話になるが、機を織るには椅子のように座って行う
高機(タカバタ)と、低い位置に足を伸ばして座る地機(ジバタ)の
2種類があり、よくよく聞いたら地機であった、という。
明治期に効率のよりよい高機に順次切り替わっていった、という、
先日足を運んだ民俗資料館の下りを参考に、であれば島でも高機で
あっただろうと予測してたのだが(それに資料館には高機しかなかった)、
上記の一言で僕の予測は見事に外れ、改めて地機の構造を調べ直していた。
要するに、昭和に入っても、地機を使用していたというわけで、
ここでも地域差、というものが存在していたのだ。
調べたら県立博物館に地機が保存されているのを知り、
近々行ってくる予定である。
現物を見れば、いろいろと謎が氷解するように思える。
難しい話はともかく、おばあに「懐かしいねえ~」と言って
もらえるような絵ができたら、それでいいと思う。
というよりか、降ってわいて出てきた題材でしかも機織りなぞ
全く知識ゼロであった私は今、頭を急速フル回転させている状態なのだ。