想い出と歴史の狭間
日が過ぎてしまいましたが、私の活動が琉球新報に掲載
されました。記事はこちらです。↓
http://ryukyushimpo.jp/photo/entry-186608.html
さて、ここから先は、だ、である調で書かせてもらいます。
想い出と歴史の狭間で僕は思う。
前回も同じようなことを書いたと思うが、いまとなっては戦前の暮らしを
聞き取りするのはとても難しい。
あと10年、いや5年早く活動を始めていれば、もう少し詳細なことを
聞けたかもしれない。
しかしそのことを惜しんでもしょうがない。
僕が今、やっていることは、ほんとうに、かろうじて
残っているかけらを一生懸命集めているにすぎない。
そんなこんな聞き取りを続けるなか、民俗博物館に行ったり、
歴史資料に目を通す頻度が最近多くなってきているように思える。
これらは、言葉少なな想い出話を補てんするための
行いであるが、気を付けないとそちらに比重が傾いてしまう。
僕ははたと気付く。
もはや、戦前、というものが、人々の記憶にあるものから、「歴史」
になりかけている、と。あと5年もすれば、戦前という時代は、
江戸時代や明治・大正のように、完全なる「歴史」になるであろう。
僕はちょうどその分岐点に立っているのだ。
歴史資料から絵を起こしてゆくことは不可能ではないだろう。
学問の世界を覗くと、それこそいろんな研究がなされている。
それはそれとして、今後、勉強を続けてゆくとして、ちょっと
立ち止って、今やるべきはなにかというのを考えると・・・・・
やはり、現在生きている人たちからの話を絵に起こして、
「いや~懐かしいねえ!」
と喜んでもらう。これが一番の中心軸だと思う。
その「懐かしい」と思う対象となる時代が、かろうじて「戦前」
という時代と重なっているのが、今、である、ということだと思う。
歴史資料に目を向けはすれど、やはり
今一番大事なのは、断片でもよい、そのときを生きた方々の
言葉を丁寧に拾い集めることだと僕は思う。