戦前のサワラ漁に思いを馳せる
馴染みのない方にはなんのこっちゃら?な文章ですが、
僕がどのように制作を進めているか少しでも想像して
いただけるかと思い、記すことにします。
僕は山間の農村に育ったので、畑の話はあるていど応用編で
お年寄り方の話を理解することはできるけれど、
難しいのが漁業に関することです。
いわゆる海人(うみんちゅ)の世界の物事です。
こういうときは、この島に住んでからの数少ない海の
体験を頭の中で総動員して、聞き描きに臨みます。
まったく知識ゼロの人にその極めたるなんたるかを
伝えるのは億劫なものです。
ですから、ある程度勉強してからかからないと、
お話にならない。質問をする相手方に、もどかしい
思いをさせてしまうのは僕としてもできるかぎり
避けたいものであります。
で、今宵は、戦前において、サワラという魚を
どのように仕留めていたか・・・ということに
思考を巡らせているのです。
まずもって、当時の漁具を、浮き彫りにしなければ
なりません。
カタチがこうでこうで・・・というのを、素材が
何だったか、聞いて描きだしてゆくのです。
で、その話を持ち帰って、描いてみて、見せて、
「こんなんじゃなーい!」
となって赤ペンで修正を加えて・・・と。
サバニ(沖縄特有の船)などは現在もあるので、
(船の構造や部位の名称を覚えてかからなければ
ならない、というのはありますが、)なんとかなる
のですが、現物が無いものを話を頼りにゼロから
描き起こしてゆくのは根気と手間がかかります。
で、う~ん、となりながら、本棚にある分厚い沖縄民具の
専門書をパラパラをめくっていたら、
なんとサワラ捕りに関するページがあるではないか!
灯台もと暗し。
ただこれですべて解決、にはならず、
この小さな白黒写真と、文章による道具
の説明文を元に描き起こして、またおじい
に見てもらって、というプロセスが待って
いるのですが。
しかし、大きなヒントを得られて、なんとか
可能性が見えてきたように思えます。
ちなみに、この本の記述は、本島中部の離島
のものを収録しており、本島南部の離島である
こちら側では、素材や名称が若干の差異が
あるようです。
ですから、
この地方では、こんなんだったようですが、ここ
ではどんなだったんでしょうか?
というアプローチができるかもしれません。
結果的に、記憶の中に失われかけていた漁具と
その方言名を残せるかもしれません。
制作の九分九厘はこのような
暗号を読み解くような作業に費やされます。
そして最後の一厘で、臨場感のある場面が
浮かび上がるのです。