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2018-05-01

ある一部の、今を生きる30代~40代の独身女性たちに宛てた手紙

― 自分と向き合う、というのはとても勇気のいることです。それは
私だって同じこと ―

夕日も朝日もいっしょ~、と夕焼けの浜辺でケロリと言ってのけた人がいる。

ブルーベリージャムののったヨーグルトを、ぐるぐるぐるぐると
かき混ぜはじめ、薄紫のドロドロにして、「わ~、きっもちわる~い!」と
言ってからパクついて、「ん~!おいし~!」と食べ続ける人がいる。

録り溜めた、日本のドラマや韓流ドラマを倍速視聴で消化する人がいる。

毎日、自分の明日の占いを、スマホでチェックする人がいる。

40近くにもなって、
ミタイナ!、ムリ!、ヨクイワレル~!を連呼する人がいる。

「無」になりたい!と連呼する人がいる。無の意味を解ってて
そう言っているのだろうか・・・・。

成功した人の本を読んで、それとおんなじことをすれば、成功する。
との簡潔な成功論を述べる人がいる。

キラキラ輝いてそれはそれは素敵な、中身のない笑顔を
見せる人がいる。

何年も沖縄に住んでいて、オキナワに呼ばれてるのか~呼ばれて
いないのか~とふわふわと語る人がいる。

へのへのもへじを描いた風船が揺らいでいるような人がいる。

鈍くさくて察しのきかない人がいる。

僕はそういった場面に出くわすと、その痛々しい様に心がくじけそうになる。

軸が無い人がいる。

顔が無い人がいる。

つかみどころのない人がいる。

つかみどころのない人、というのは結局、自分が自分を
つかめていない。何故、つかめないかといえば
つまり、文字通り、つかむところが無いからだと思う。
要するに中身がないのだと思う。
紡ぎ出す言葉も、作り出すものにも、笑顔にも、
顔が、無い。

そして、つかみどころのない人というのは、往々にして
本人の自覚のあるなしに関係なく、人の心をつかんでくる。
だからそのような人は、さして繋がりのない男性から
猛烈なアタックを受け続けたり、あるいは束縛の強い
男性と一緒になったりする。心を鷲掴みされた
男性たちは、おそらく、迷宮の中を、輝く宝石が存在するとの
幻想を抱いて歩き続けているのだと思う。
僕は彼らに言ってあげたい。
そこには宝石は存在しないよ、と。
あなた方の輝きが迷路の壁に反射しただけだよ。

そんな彼女たちの頭の中を覗いてみると、
実にカオスで、思考で渦巻いていてさながら幾つもの
迷走台風が脳の中を右往左往している感がある。
どうしてそうなるかというと、軸が無いからである。

やがて、自己防衛のために―それは無意識にといってもよく―自分の顔を無くす。

感受性もあるであろう、喜怒哀楽もあるであろう。しかしながら、
あるのかないのかも、よくわからなくさせる言動をとる。
ときおりそれらを垣間見たとしても、ちぐはぐでどこか板についていない。
取って付けたようで真に響いてこない。

この種の人々は残念なことに、そんな自分をどうこうしようという
意識がない。さらに症状が悪いと、認識が無い。
そして総じて、頑固である。
いざ、本質を突かれると、かわすか、逃げるか、でもそれって~、と
デモデモ星人に変身する。あるいは、ヨクイワレル~!と反射的に
答えてくる。

ぼくはこういった女性たちに、声を大にして言いたい。

軸を持ってください。

顔を持ってください。

つかむところを持ってください。

うわっつらの中身のない笑顔でなく
ほんとうの笑顔を見せてください。

自分を直視して、もういちど、取り戻してください。

真の心の平安はそこからがしか得られない
のですから。

ひとは、ひとそれぞれ、それぞれであって、それでいい。
であるけれども、看過できないなにごとかを感じてさいなまれるときもある。
僕が、その人の人生を生きるわけでないし、その人の人生を肩代わりすることはできない。
ただ僕は、幸いにしてか、絵にしろ文章にしろ、
「表現」という手段を持っている。
こういった看過できない思いを
昇華して、純化させた「願い」のようなものがこの先、
ときには、出てくるものと、いまは思っている。

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