静かな夕方
もうそろそろ、このへんでよいだろう。
そう心の中で呟いて、育ててきた
粟を根元から引き抜いた。
穂から刈り取らずそうするのは、後で全体を観察する
ためだからである。
完全には全体が黄色く色着いていない。黄色いのも
あれば、あおいのもある。収穫するにはまだ少し早い。
そんなことは素人の私でもわかる。
しかしながら台風は刻々と沖縄に向かってきている。
前回の台風は勢力もそれほどではなかったので
持ちこたえたが、おそらくは今回は無理であろう。
あと少し、あと少し、とやってきたがここまで
きてあと1日も2日も変わらん、台風の予報進路、
今後の勢力予測を勘案して昨日、収穫へと
踏み切ったのだ。
僕はこの歴史的瞬間をひとり静かに迎えていた。
想えば3年ほど前、「チミ(もちきび)はもちもち、アワは
サラサラしてた。」というおばあの一言から始まった。
これはもしかすると、もち種でなく、うるち種の
粟かもしれない、「おばあ、アワはもちねー?うるちねー?」と
聞き返すがおばあにモチだウルチだの観念がなく、わからん、という。
そんなだから他のおばあ達にもわかるはずがなく、ただ
サラサラという一言を頼りに、作られていたのはウルチの粟では?
という確信に近い憶測を抱き続ける日々を送っていた。
それからどれくらい後か思い出せないが、ある資料の中に
今、記憶と自身の言葉で述べさせてもらえば、「行事に使う用に
ウルチ粟を、食料としてモチ粟を、それぞれ栽培していた」
といった記述を発見し、そこで初めて確信に近い憶測は
文字通り「確信」へとなったわけである。よしでは種を取り寄せて
早速やってみよう、となったのだがところが、どういうわけか
「ウルチ粟」の種は市場に出回っていない(これも謎だが食品
としては流通している。もちろんのこと脱穀されているので種と
しては使用できない。)。
結局、紆余曲折を経て、研究所から手続きをして取り寄せる、
という、のっけからたいそうなものごとになってしまった。
郵送されて届いた種は約120粒。
栽培についての大変さはいちいちつぶさに書いていたら
キリが無いが、間違って刈られてしまったり、カタツムリとの
格闘、猫が若葉を食べる、虫が穂を食べる、台風は来る、
とにかく穂が黄色く色着くまで気の抜けない日々であった。
雑穀、というものはこんなに栽培が大変なものなのか・・・
本来はそんなはずではないと思うのだが。
様々考えたが、いまは以下の結論に行きついている。
途絶えていた期間が長いものはど復活させることの難易度が増す。
通りがかりのおばあが足を止めて、粟はねーこんなして、こんなして
と収穫から脱穀の話をしてくれる。それはいつ頃のはなしですか?と
聞くと、「戦前よお~、戦前!」。
大袈裟に言っても戦前ぶり、つまりは70数年ぶりに実を
みのらせ、このたび、どうにかこうにか収穫まで漕ぎつけた
のである。
歴史的、と形容しても差し支えないだろう、と僕は思っている。