70年という月日を想う
いぇー! とーとー!
なとーんどー、なとーんどー!!
僕は結局のところ、この瞬間のために聞き描きを
続けているのかもしれない。
お~!できたじゃないか!という程の意。
学術的な価値、はむしろ副産物のようなもので、副産物、と言っても
それはそれで大変価値のあるものなのだが。
研究、という立ち位置というよりは、いま現在居る人たちの言葉を聞き、
かたちにしてゆく、というところにむしろ意味があるように思う。
前勉強として専門書を漁ったり、博物館に足を運んだりすることもあるが、
それらはあくまで現場でのコミュニケーションの円滑化を図るためである。
戦前の話を聞くのはおそろしく困難なことである。考えてみたら戦後も70年
が経過している。
単純に考えて、話し手が80代後半から90代前半としても、聞けるとしたら
10代後半から20歳を少し過ぎたころの体験や面影である。
戦後の話を聞くのは比較的たやすい(あくまで比較的、であるが。)
しかしながら、これが戦前、となると格段に難易度が上がる。
場合によっては、おばあのおばあちゃんが、こんなことしてた、
という話も出てくる。
70年、とはそういう月日なのだ。
僕は今、その中でも、わずかにかろうじて残っているものを、
必死になって集めている。
歴史資料を読んだり博物館に行って、それを元に絵を描く。
やろうと思えばできるのかもしれない。
しかし僕のやらんとしている物事ではない。
それらは参考にすることはあっても(結局、地域差があるので
参考にしかならない場合が多い)、
あくまで当事者の声を元に作画をする。
そことここでは雲泥の差があるように思える。
出来上がった世界は、多少の誤差はあるかもしれない。
想い出の中身を描いているのだから、それはある程度
仕方のないことだ。
それよりも、大事なのは
「とーとーとー!あたってるさー!」
この一言を得ることだ、と僕は思うのだ。
さらに言えば、この瞬間を相手方と共有するまでの道のり、そして
まさにその瞬間・・・
これこそが、真の「芸術」というものだと思う。