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2018-07-17

ひかりを描き出すこととひかりとはなんぞや、ということを言語化するという難しく簡単な試み

たかいたかい高みから、今日も
太陽は、あまねくを照らす。

地上も海も、蒸気の塊であるところの雲も、
それらを構成する粒子の一粒一粒が
あまねく照らされて、光に満ちみちて、
柔らかな輝きを纏う。
立ち止まればほら、
あなたの髪の先、あなたの顔、からだ、両の手の指先、
足先まで、光に満ちみちている。

机や椅子も、自転車も、樹木や往来の人々、
犬も猫も花も鳥もオオゴマダラも・・・・

寝しなにノートに書いた文はここで終わっている。

ひかりそのものを描く、ということに腐心していた。
ご周知のとおりひかりというものは、無色透明、目には
見えない。それを描こうというのだから、はてどのように
したらよいのだろうか?考え感じ続ける日々を送っていた
ように思う。

月をも照らす太陽は、あまねくを照らし、世界を統べる。
いうなれば太陽は、あまねくを総攬する存在である。

ひかりというものはそこから発せられるわけだが、もう一方、
その存在、現象とも言えようか、そのものの放つひかりと
いうものもあるわけで、それは太陽光を反射して、という
物理的な物言いではくくることはできない。いうなれば生命の
輝き、ということになるのだろう。

目に見えるすべてが柔らかい光に包まれているように感じる
ことは、ある。
要するにそれを絵と文で表現することに今、取り組んでいる。

最近手にしたとあるエッセイ集のなかに、仏教の宗派の
ひとつであるところの華厳宗についての記述があり、
難解な文章であるが、そうそう、そうなんだよ、と共感の
沸き起こる、簡単と難解がいっしょくたになったような文
を何度も読み返している。よくもまあ、華厳宗のよりどころの
華厳思想というひとつの思想を、見開き1ページ程の分量で、
端的に、その人の言葉で言い表したものだと舌を巻く思いで、
読み返している。端的であるがゆえに簡単であり難解だ。
こういう文章はからだ全体で読むにかぎる。

そのくだりを、そっくり引用させていただいて、こういう
ことなんですよ、というのはやろうと思えばできる。
がしかし、それは自分の言葉ではない。自身のこの
分野での語彙の少なさに愕然とさせられている。
今は、そうそう、そうなんだよ、と感じ入りながららもその
感じを自分の言葉で紡ぎだそうと腐心している。
教えるは学ぶの半ばとは言うが、教えるなぞなんとも
おこがましく人に語るにはまだまだ勉強が足りない。

話がそれてしまっているようだが、ここに
ひかりについて書かれているからが、こうして
俎上に上げているわけだ。

考えたり、感じたり、なにかをやり始めることは
誰でもできること。
考え抜き感じ抜いて、やってのけることが大事。

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