本日は午後に絵を進めて夕方は昔話を聞きに出歩く、ということをした。
午前中はライン関係の作業と独居のおばあの家の雨戸を外したりなんだり、であった。
定期船は通常運航。いつもどおりの日常がはじまる。
さて
季節は去った。そして新たな季節がやってくる。
超大型台風による荒天に乗じてラインスタンプ第2弾
の準備を進めていた。第一弾は只今審査中。
何日も机に向かっていると好きなこととはいえ体にこたえる。
突貫で集中的に進めたのでなおさらのことであろう。
ともかくも、1セット40種類のイラスト、実際には43個描きあげた。
ということで、余った分をボツにする作業があるが、今日はもうやめた。
こういうことは日を置いてからがよい。
台風は、僕の元から様々なものを運び去って行き、そしてまた新たに
様々なものを運んでくる。去り行くものを、つい、追いかけたくなって
しまうが、それはしてはいけない。去ったものをしみじみと感じ、
ひとしきり感じに感じたら、そいつをそっと風に乗せるのだ。
風が過ぎたのち、定期船も動き出し、普段の日常が回りだす。
僕はそのなかに身を溶かし、二本の脚で再び歩き始める。
期限の定めの曖昧な展示会の準備を少し進める
展示スペースは2階になるのだが、そこに140センチ×140センチ
の絵が運べるかが要確認であったので、同サイズの仮枠を現場に
持っていってきた。
結局、二か所ある階段どちらもダメ、最終的に建物の外から釣り上げて
窓のサッシを外してそこから搬入することになった。
というわけで予定通りこのサイズの絵を描く。半年後になるかもしれない、
いや、なるだろう、まだ何も手を付けていないのだから。
ともかくも、前回はお試しの意味合いもあったが、今回は
全力でもって臨もうと思う。
いまいちど僕はふりむん(沖縄方言)になる。思えばバックパックひとつで
この島に来たときは文字通り背水の陣、ふりむん以外の何物でもなかった。
あの頃と今ではむろん、状況は異なるし比較してどうこうできるものではない。
そうはいえども僕は、あの頃の向こう見ずな情熱にもう一度火をつけようと思う。
なぜこのように思うかといえば、約半年後に控えた展示に向けての
労力を想像すると心が折れそうなくらい気が遠くなるからである。
これはもうのんべんだらりとはやってられない。富士山も合数が上がると
上るのがキツくなってくる。しかしながらさらなる高みにもってゆくためには
そこを登らなければならない。キツいからと投げ出せばそこには後悔という
二文字しか残らない。8合目まで行って引き返してくるのと9合目も超えて
頂上に辿りつくのとでは、まるで違う。したがって僕は、登る以外に道は無い。
そしてその一歩を踏み出すにあたり何度も、自分を鼓舞する。
登ることは誰でもできる。しかし登りきらなければ意味がない。
140cm×140cmの絵の題材も、気が滅入るほどの内容なのだが、
やり遂げなければ僕は必ず後悔するだろう。
ともかくも、この大きさが搬入できることが確定したんだ。
これはもうやるしかないでしょう。
みけちゃんより
制作過程2
この構図に至るまで歳月を要したけれども、いざ紙にラフを描きはじめると
5分足らずで出来上がってしまった。
そのほんの数分のためにこれまでの時間があったのだろう。
これまでの時間、というのは、大潮ともなれイノーを歩き、夏の暑い夜は先輩と
海に潜り、貝を捕ったり魚を突いたり、時に潮に流されまいと全力でフィンを動かし、
タコと格闘し、イラブーが頭上を横切って行ったり、時には何も捕らず只々
イノーを歩き、スケッチをし写真を撮り、等々、である。
かような「至近距離」を体でもって体験してできあがった構図は
雲の上からという「遠景」であるのは自分としても興味深い。
そういった体験を一旦は手放すことによって構図というものは出来上がる
のであるが、そこに至るまでにはそれなりの道筋を辿らなければならない。
そして手放すという作業は作画を始めてからも画面の中で続けられてゆくのである。
制作過程
前に前に
ひところの常軌を逸した暑さの日々はようやく峠を越え、
朝晩は秋の気配さえ感じるようになった。日中はまだまだ
汗を拭わねばならない陽気だが、人間の許容の範囲内で
あるといえる。
しかしながら勝手なもので、あの暑さが和らいでくると、ホッとした反面、
なにか物足りなさや寂しさを感じている自分を発見し、咄嗟に
ぼくは芥川龍之介の小説「鼻」が頭をよぎってしまった。
が、やはり涼しいにこしたことはない。
僕はようやく、もろもろの制作に着手しようと思う。以前から
依頼をいただている大作、また、時がたってしまったがクラウド
ファンディングの際、直接支援して下さった人たちへのもの、
その他個人的な依頼のもの、そういったものを順序よく、
進めてゆこうと思う。そんな矢先、ある経緯でまた依頼を受けて
しまった。僕はもう個人様からの依頼は受けないことにして
いるのだが、なかなかそれを杓子定規に押し通すわけにもゆかない。
これもなにかのご縁、と引き受けた次第であるが、基本的には、
受けないことにしている。理由は、待たせてしまうから。
どうしても締め切りのある案件が飛び込んでくると、そちらを優先
せざるおえず、すると期限の定めの曖昧な個人様からのものが
どんどん後回しになってしまい、それははっきりいって心苦しい。
閑話休題。
僕の暮らしにはいま、猫がいる。この存在を授かった瞬間、ああ
自分の一生は決まった・・・・と直感的に思った日を記憶している。
授かったからには、猫の命つきるまで世話をしてやらないといけない。
順当にゆけば20年は生きる。そのころぼくは還暦を迎えて
いるであろう。悲観して言っているわけではない。自分の人生の輪郭
が見え、それに向かって歩みをすすめている、それだけである。
僕は人生というものは自分で切り開いてゆくものだと思っている。
一方で、生きてゆくということは、なにか大いなるものに包まれ、大いなる
流れに乗っかってゆくもののようにも思える。
たぶん、それらは同時に車の両輪として回転し続けているのだろう。
細部はいろいろあるだろうが、大筋としてはこんな感じなのだろう。
そんな原理原則が根底にある中で、ぼくはこの、比較的数奇
な部類に入りながらも決して悪くない人生を、いきいきと生き抜いてやろうと思う。
思考は完全には停止していないぞ
連日、気温30度超えの日々が続き、
日中はほぼ思考停止状態である。
朝の7時台だというのに、この
日差しのなんと苛烈なことよ。
陰で凉を求めようにも風自体が温かく、
それすらもできない。
海に入っても、ぬるま湯に浸かっているようだ。
今年の夏はいつになく暑いと皆、口を揃える。
台風は変なところで発生し、変な進み方をする。
世の中一体どうなっているんだ?と首を傾げてしまう。
いつだか那覇の新都心に行った際に、
アスファルトで塗り固められた公園を
歩いていたら、足元からミストが噴き出し始めた。
最先端の技術でもって、「凉」を提供
していますよ、ということか。
別のあるコンクリートの建物では、それが上から降ってきた。
わざわざ熱を蓄えるもので世間を覆っておいて、
わざわざミストを噴射して、みんないったい何を目指して
どこに行きつきたいのだろうか、と考えてしまった。
この苛烈な太陽の力をただ暑い暑いというばかりじゃ
なくて利用してやろう、と野草を干して茶を作った。
そのほうがよっぽか最先端だと思う。
携帯も復活し、インパクトドライバーも修理から帰ってきた。
なんだかよくわからないが、とりあえず、前には進んでいる。
逃げるも大事
連日好天に恵まれ、築60余年のこの住居の内部は
とんでもないことになっている。ただひたすらに、暑い。
クーラーなどという現代文明の利器はここにはなく、
一台の扇風機が頑張ってくれているが、屋内の熱せられた
空気をただかき回すのみでほとんど気休めにもならない。
外はどうかといえば、軒下の制作スペースは強烈な日差しに
晒されており、日中この敷地内においては、逃げ場というものが無い。
よくもまあ7~8年前に、夏の間中キャンプ場でテント
暮らしをしながら浜辺に三脚を立ててキャンバスに向かった
ものだと、自分の事ながら感心してしまう。あのときは
ああする以外に方法は無かったからこそができたのだろう。
それにあの当時の夏はカタブイ(にわか雨・通り雨)が多く、
今よりも比較的凉を求めやすかったので、そういったことも
続けられたのかもしれない。・・・・といったことも日の落ちた
今がそう思うのであって、日中なぞははっきり言って
思考停止状態である。
とにかくあまりにもそんな環境なので、午後のひとときを
海の中で過ごしている。海に浸かって泳いで、体を冷やす。
そうでもやってかないと、はっきりいて、身がもたない。
今日は泳ぎながら、これからは作業開始時間をうんと早め、
終了時間も遅くして(19時頃まで明るいので)、昼の2時間ばかし
は海で過ごす、というスタイルにしてみよう、と考えた。
自分のリズムを押し通すのも美学かもしれないが、自然に合わせて
その流れのなかでリズムを作ってゆくのも大事かと。いずれにせよ
リズムは大事だからこそこのように思考しているのだが。
等々述べたが要するに、「暑さのピーク時は海に避難する。」
ただそれだけのことである。