前に前に
ひところの常軌を逸した暑さの日々はようやく峠を越え、
朝晩は秋の気配さえ感じるようになった。日中はまだまだ
汗を拭わねばならない陽気だが、人間の許容の範囲内で
あるといえる。
しかしながら勝手なもので、あの暑さが和らいでくると、ホッとした反面、
なにか物足りなさや寂しさを感じている自分を発見し、咄嗟に
ぼくは芥川龍之介の小説「鼻」が頭をよぎってしまった。
が、やはり涼しいにこしたことはない。
僕はようやく、もろもろの制作に着手しようと思う。以前から
依頼をいただている大作、また、時がたってしまったがクラウド
ファンディングの際、直接支援して下さった人たちへのもの、
その他個人的な依頼のもの、そういったものを順序よく、
進めてゆこうと思う。そんな矢先、ある経緯でまた依頼を受けて
しまった。僕はもう個人様からの依頼は受けないことにして
いるのだが、なかなかそれを杓子定規に押し通すわけにもゆかない。
これもなにかのご縁、と引き受けた次第であるが、基本的には、
受けないことにしている。理由は、待たせてしまうから。
どうしても締め切りのある案件が飛び込んでくると、そちらを優先
せざるおえず、すると期限の定めの曖昧な個人様からのものが
どんどん後回しになってしまい、それははっきりいって心苦しい。
閑話休題。
僕の暮らしにはいま、猫がいる。この存在を授かった瞬間、ああ
自分の一生は決まった・・・・と直感的に思った日を記憶している。
授かったからには、猫の命つきるまで世話をしてやらないといけない。
順当にゆけば20年は生きる。そのころぼくは還暦を迎えて
いるであろう。悲観して言っているわけではない。自分の人生の輪郭
が見え、それに向かって歩みをすすめている、それだけである。
僕は人生というものは自分で切り開いてゆくものだと思っている。
一方で、生きてゆくということは、なにか大いなるものに包まれ、大いなる
流れに乗っかってゆくもののようにも思える。
たぶん、それらは同時に車の両輪として回転し続けているのだろう。
細部はいろいろあるだろうが、大筋としてはこんな感じなのだろう。
そんな原理原則が根底にある中で、ぼくはこの、比較的数奇
な部類に入りながらも決して悪くない人生を、いきいきと生き抜いてやろうと思う。