歴史的な日々
時期は遅いが粟を育てている。もし実れば島では
数十年ぶりの出来事となるのではなかろうかと思う。
これを実らせるにあたり執念めいたものを持っている。
世間を見渡せば、粟を栽培している地域なぞいくつも
あるのだろうが、着手して気付かされるのだが、
長らく途絶えていた場所でそれを成そうとすると
それなりの大変さのようなものがつきまとってくる。
だからここは先に言った執念というやつで突き抜けようと
しているところである。
先に植えた高黍はいまのところ順調に進んでいる。
話に聞く島の高黍は実がどっさりついて首を垂れていた
という。一昨年くらいから栽培を始めたが、どういうこと
でそうなるのか分からないが同じ房から種を蒔いたのが、
穂が箒を逆さに立てたように天に向かって開くものと
傘の握りの部分のようにグンと下に曲がるものとができる。
そしてその曲がった方をみておばあたちは、島の高黍だ!
と驚くのである。
さらに言えば、上に開くのと下にさがるのとは種類が違う、と。
そこで私が同じ種からできたから土地が肥えてるか痩せてるかで
変わってくるのでは?等、云々すると、キョトンと首を傾げて
こちらの言わんとしていることがまったく通じない。
とにかく固有種なのか何なのかそのあたりはよく分からない。
ちなみに上がっているのは方言で「アジャー」、下がっている
のは「マガヤー」という。マガヤーが上等、これから種は取りなさい
という一方でマガヤーがじょうとうだけどアジャーも上等サー、と。
だけど種類は別。じゃーもーわかった(よく分からないが)毎回毎回、
マガヤーから種を取って・・・を繰り返してゆけば島の気候風土も相まって
久高島の在来種になってゆくだろうよ!!ということで栽培を
続けている。
味噌を仕込んでいる。
味噌作りの話を聞きに行くと、「まず農協で麹を買って・・・」
と話だすので、いやいやいやそーじゃなくて!昔のやり方で!・・・
麹を起こすところからのやり方を聞いているわけであって・・・
当然のことながらレシピなるものは無いに等しくすべて塩梅である。
だからこそ余計に実際に作ってみる必要がある。必要、と書いたが
教わった通りにやって、合格をもらえる味噌ができなければ意味がない。
麹と豆の比率を聞こうものなら、「あんたが(味噌を)何合やるか分からんのに
(麹を)何合に(対して豆が)何合かなんて分からんよ!」となる。
そこで屈せずにまた別のとこで聞きにゆくと麹と豆は1対1という。
で実際にやってみる。やってみると豆は水に浸けて増えるんだな。そこでやっと
前者のおばあのもどかしさが分かったのだ。おばあは水で増えた豆と麹
が比率で言ったらどれくらいになるかを考えていた気分のようなものが
そこでやっと見えたのだ。
そんなこんなで途中経過を見てもらいつつ、進めている。
軒先にハリセンボン(アバサー)の皮を干している。
民具を復元するためである。
作りはシンプルで、これに木の枝を取り付けて食物
を吊り下げるのである。
皮は、いろいろ入手経路を考えたが結局自分でハリセンボン自体を
突いて獲ってきた。身はアバサー汁にして独居のおばあのところへ
持っていった。この民具の話をしてくれたおじいは先日、天に召されて
いった。願わくば現物を見せに行きたかった、もっと早くに着手していれば、
と思うが仕方がない。
思いを胸に、この民具を仕上げてゆく以外にない。