ジュールク二チー
猫対策が功を奏して、作業環境は格段に良くなっている。
さてこれは船が止まっているあいだのできごとであるが、おばあが
大根を届けに来てくれたのだ。
僕はたびたびこの方のお宅に昔の話を聞かせてもらいに
お邪魔していたのだが、あるときどういう話の流れでそうなったか
思い出せないが、昔は大根なんか毎年種を採ってそれを蒔いて
いた、いまはフユー(怠けて)して毎年種を買ってるさー・・・という
話になり、日をおいて、大根の種を採取する絵を描いて持って行ったのだ。
すると、傍にいたおじいの方が、絵を見てこれは昔の大根じゃない。
これはアオクビさー(僕が描いてきたのは現在島の畑で栽培されている
青首大根)、形がもっとこう、とジェスチャー混じりの会話になり、要するに、
昔は島だいこんを作ってた、ということだ。
それで形を修正して、とーとー(そうそう)となったわけだが。
で、島大根の種が手に入らないものかと考えたのだ。以前新聞の地域欄に
「鏡地デークニ復活」の記事を読んだ記憶があるので、まったく無いことは
ないだろう、と思いながら過ごし、本島に行った折、南城市内にある種苗店
に試しに入ってみたところ・・・あれまあ普通に販売されているではないか。
しかも種の生産地は内地(なに県か忘れてしまった)。
種業界はなんだかよくわからん。
というわけでこれを購入、島に戻っておばあ宅に行き、
いつもいろいろお話を聞かせてもらってありがとう、こんなのがあったから
収めてくださいね~、と手渡したのが約1年前の話。あのとき
いたく感激されたのを覚えている。
それが時を経て、あの時の大根ができたよ、さっき引っこ抜いてきた、
と家に持ってきてくれたのだ。
日常の暮らしのやりとりはこういう場に挙げると途端に、その輝きが失せてしまう。
それは僕自身が現在その真っ只中にいるからだろうか。あるいはあまりに
距離が近すぎるからかもしれない。
そんな中にあってこのことはこの場に記してもよいように思えて文章をしたためる
ことにした。この出来事はとても意義深く、示唆に満ちていると思う。
今日は旧の16日、ご先祖様方の正月であった。
旧正月~生年祝いと続き、本日をもって正月もひと段落、といったところである。
余談だが、ニンジンもやはり毎年種を採っていたということだ。これはおばあ自身は
やったことはないが、昔のおばーたちは、そうやって紙に包むなどして保管していた
ということである。