折り返し地点
展示会も残すところあと一週間となりました。
追加で作品を2、3点用意しようとしていましたが、
あれよあれよと日数が経過してしまいました。間に合えば
展示しますが、間に合わなければまた何かの機会に
どこかで展示されるでしょう。
機織りの絵を描いていたのですが、要するに島でも
芭蕉布が織られていたということです。
ただ織り機はもう島には存在しない。様々な沖縄の古写真
には登場しますが、いまいち写真をみるだけでは構造が解らない。
構造が解らないとそのものが描けない。
ということで一時期、織り機を求め本島を巡ったのです。
そして最終的に、沖縄市にある、知花花織事業協同組合にその
探し求めているものがある、ということで、去年の12月でしたか、
行ってきたのです。そこで分解状態で保管されている織り機を
組み立てたり部品の採寸をしたり、組み立てた織り機に座って
みたりしてかえってきたのです。
機織りについての資料のコピーをいただいたり、知花花織の
皆さんのご協力なしには、いま取り掛かっている絵は、
出来ていないのです。間に合えば展示するし間に合わなければ
またの機会に、です。
また、おばあがかつて過ごした、那覇市東町市場の情景に関する
ことでもそうですが、今回はとうてい手が回りませんでした。これ
に関しては、那覇市歴史博物館の主任の方に大変お世話になりました。
しかしながら今回の展示会には間に合わすことができず、これも
またの機会に、となります。
いずれにしましても、展示会をするにあたって、一つでも要素が
欠けていたら、おそらく成立していなかったでしょう。
島外においては前述した知花花織事業協同組合、那覇市歴史博物館
をはじめ、八重山におけるカツオ漁に関して石垣島在住の皆様方、
また縄の編み方をご指南くださった、波照間島の民宿・東田村(あがたむら)
の主人には大変お世話になりました。
作品のデータ化(スキャニング)をいつもさせていただいている
那覇市曙にある株式会社ナンセイにおいては、昔の写真を探すに
あたって様々なヒント、示唆、ご協力をいただいております。
そしていつも厭わず、はなしを聞かせてくださる島のおじい、おばあたち。
事務作業や設置作業、経済的な面も含め、今回の展示は、ありとあらゆる
様々な方面からの要因、差し伸べる手(名こそ出しませんが、)が複合的に
集まって展示会として成立せしめることができた、と思っています。私の力ではない。
フライヤーのデザインに関してだけでも、アイデアにんべん黒川夫妻の存在
なしにはあのフライヤーは出来ていなかった。
そして奇しくも満月から新月にかけて(9/16~10/2)という日程を設定した
ふくら舎の担当スタッフ。
どれがひとつ欠けても成立しなかったでしょう。
とりとめのない文章なので今日はこのへんで失礼します。