お知らせ・並びに活動状況の報告
昨年末の、レディ・フォーにおけるプロジェクトにご支援をして下さった
皆さま、お待たせしてしまっておりますが、リターンの品物は、
(展示作品のポストカードは出来上がり次第となってしまいますが)
4月中までには順次、お届けしてゆく予定ですので、
その旨、ご報告致します。
最近の活動状況は、県立公文書館や博物館に足を運んだり、と
資料探しをしたり、断続的に聞き描きも続けています。
農業や漁業など基本的な暮らし、というものは、島のものごとであっても、
沖縄全体で共通している部分が多く、先日お会いしたある先生が
おっしゃっていたのですが、
どこか一か所だけ突出して別の道を進んでゆくことはありえない。
そういった物事は基本的には全体的に同時に発達してゆくものである。
という性質のもので、このことが、沖縄のいろんな地域の古写真を
見てゆくにつれ、なるほどなあ・・・と改めてそう感じているところです。
いずれにせよ、この部分はこの部分で、まとめあげていこうと
考えています。
一方で、この地域特有のものもあるわけで、その部分をどうにか
カタチにしてゆきたい、と動いていますが、いかんせん、戦前の
暮らしをリアルタイムで知る方は本当に限られてきており、
できるかぎりのことはやろう、といった心境です。
しかし、できるんじゃないか?という妙な確信もあります。
これは写真にはない。しかし、手がかりは島にある。
そのために、島を歩く。
段々と、話のみでは難しいところも出てきており、写真を見てもらって
話を聞くようにしています。最近はもう、話を聞き出そうとしない、メモも
殆どとらない。そのかわり、全身で話を聞く。
戦前のカツオ漁の様子を話して聞かせてもらう機会が過去何度もあったが
やはりこの段階までくると、絵にするには、特に細部は話だけでは本当に難しい。
そこで僕は、戦前のカツオ漁あるいはカツオ船の写真を探し、
結局、公文書館で与那国島で撮影されたものを見つけて
複写させてもらい、島に戻ってその方に見てもらうと、
とおー、こんなだ、こんなだ、となったわけです。
僕としては、写真は、限られたアングルから、全体像を導きだす
重要な手がかりとなります。
いまのところの、いちばんの成功例は、戦前の、赤瓦ぶきの学校を絵に
復元できたことでしょうか。
これは校舎の右半分が写っている写真を元に、残りの左半分を
話を聞くことによって全体像を浮かびあがらせることができました。
話をして下さった方がもともと大工の仕事もしていた、というのも
あるのでしょうか、とにかく、この方がいなかったら
全体像を掴むのは不可能だったでしょう。
早く本作品に臨みたいところです。
等々、こういった類のことを少しずつ進めているところです。