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2024-09-15

暗に扇を描いたあの頃

暗に扇を描いたあの頃

市勢要覧という、あまり一般の方々には
馴染みのない媒体でしたが、それにあわせて
描き下ろしたうちの一点で、何年前のものか、
テーマがなんだったか、すぐに思い出せません。
ただ、南城市全域を包摂したものを描かねば
ならなかった、ということは記憶にあるの
ですが。

南城市は、緑豊か、自然豊かなイメージ
ですが、グーグルマップで見てみれば、
緑が豊かなのは急勾配の傾斜地ばかりで、
平坦な土地はほとんど開発されています。

信念を持ってして街並みを描かなかった
わけではないですが(ごちゃごちゃする
ので省いただけ)、改めて眺めてみるに、
これくらい緑があったほうが未来の
ためによいのでは?との感想を抱きます。

スクナ山をはじめ佐敷周辺など、
公文書館にある米軍の撮影した航空写真
(沖縄戦前、偵察か?)を参考にして、
これぞ平和利用というやつだ、とか
言いながらなにかと頑張っていました。

岩礁に立つ立標の色を正確に描いたり、
妙なところにこだわっています。
馬天港のほうの立標の色は、当時、
久高海運の会長に教えてもらいました。